銅、銀、金の栄光の全日本男子バレーボール [バレーボール 五輪]
管理人、個人的に1972年8月のミュンへンオリンピック準決勝、TVアニメ「ミュンヘンへの道」での人気もあり、金確実と言われていたブルガリア戦。よもや!の2セット先制され後がない全日本チーム、そこから3セット逆転でとり勝った試合、印象深く今も記憶に残っております。
当時を知る誰もがそうだと思いますが、特に最後のスパイクを決め勝った瞬間!、床を叩いて喜ぶ島岡氏の喜びよう、、、。忘れられるものではありません。
まあ、世界のバレーボールシーンも当時とは様変わりしており、厳しい戦いをしいられてると思いますが、ミュンヘン五輪、東ドイツを破っての悲願の金メダルのこのシーンをもう一度!。時間差攻撃、Aクイック、Bクイック等は日本の発明でございます。全日本バレーボールチーム、もう一花咲かせていただきたいものでございます。
横浜F・マリノス 松田直樹 最後の挨拶 [サッカー]
「ただ、オレ、マジ、サッカー好きなんすよ」
何事においても、もう、この一言が全て、、、
何も誰も言えないですね、、、。
松田 直樹(まつだ なおき、1977年3月14日 - 2011年8月4日)は、群馬県桐生市相生町出身のサッカー選手。元日本代表。ポジションはディフェンダー。
享年34才。
お疲れさまでした。ありがとう!、、、心より御冥福をお祈りいたします。
具志堅用高 世界戦KOダイジェスト 蘇るカンムリワシ伝説 [ボクシング]
強い!今みても凄い!。とてもJr.フライの世界戦とは思えない迫力とKOシーンですね〜。素晴らしい。具志堅用高 は歴史に残る名ボクサー、チャンピオンでございます!。
具志堅用高 プロ戦績
24戦23勝(15KO勝ち)1敗
◯wikipediaより引用流用
沖縄県石垣市(石垣島)生まれ。地元の中学卒業後、沖縄本島に渡り興南高等学校に入学。上原康恒の実父上原勝次や金城真吉、仲井真重次の特訓で天性の素質が開花。3年次でインターハイ・モスキート級優勝。同校卒業後に上京する。拓殖大学商学部の体育推薦入試に合格していたが、入学を辞退し協栄ジムに入門。
1974年5月28日、プロデビュー。
1976年10月10日、9戦目で世界初挑戦。"リトル・フォアマン"の異名を持つWBA世界ジュニアフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に挑む。挑戦者が開始当初から軽快に動き回り、2回、4回にダウンを奪う。7回、3度目のダウンを奪ったところでKO勝ちとなり、沖縄県出身者初の世界王者となった。試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話したことから「カンムリワシ」の異名がついた。なお、9戦目での世界王座奪取は当時の国内最短記録となった(現在は井岡一翔の7戦目)。
1979年1月7日、2度目の防衛戦でも対戦したリゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)を7回KOに降し、7度目の防衛に成功。当時の日本人世界王者の最多防衛回数を更新(それまでの最多防衛記録は小林弘、輪島功一の6度)。
1979年4月8日、アルフォンソ・ロペス(パナマ)を7回KOに降し、8度目の防衛に成功。1977年10月の3度目の防衛戦からこれで6連続KO防衛となった。「世界王座6連続KO防衛」は日本人世界王者では具志堅しか達成していない(2010年末現在)。
1980年6月1日、マルチン・バルガス(チリ)を8回KOに降し、12度目の防衛に成功。ジュニアフライ級の世界王座防衛回数世界新記録(当時)を達成[2]。その後、10月12日にはペドロ・フローレス(メキシコ)を15回判定に降し、13度目の防衛にも成功(世界王座防衛13度は日本人世界王者の最多記録で、現在も破られていない)。
1981年3月8日、14度目の防衛戦で地元沖縄県での凱旋試合が実現。前回の防衛戦で対戦したフローレスと再戦。回が進むにつれ、挑戦者のプレッシャーをかわし切れなくなっていく。8回に最初のダウンを奪われると、迎えた12回、挑戦者の右ストレートをまともに浴びて2度目のダウン。辛くも立ち上がり試合続行に応じたが挑戦者の追撃に襲われる。ここでセコンドからタオルが投入され世界王座陥落。この試合を最後に現役を引退した。
引退後は解説者として活躍する一方、芸能界でのタレント活動にも参加している。1994年には日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設。現在は同ジムの会長として後進育成に力を入れ、元日本スーパーフライ級王者の名護明彦、元OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の嘉陽宗嗣らを育てている。
2010年4月から太田プロダクションと契約を結び、本格的なタレント活動を開始。同年6月に『クイズ!ヘキサゴンII』に出演すると、そのマイペースなキャラクターと珍解答で注目されてそのまま準レギュラーとなった。『ヘキサゴンII』には常連出演者となる前にも数回出演経験がある。
2010年5月に日本における元世界チャンピオン達と、プロボクシング・世界チャンピオン会を設立した。
1982年 熱闘甲子園 池田高校 準々決勝 VS早稲田実 [高校野球]
1980年。1年生の夏、いきなり5試合で4完封、44回1/3連続無失点の好投で決勝進出、横浜高に破れるも準優勝投手になった早実の荒木大輔クン(後のヤクルト、横浜)。
1982年、3年夏の大会まで春夏5季連続出場の大記録をうちたてるも、2年の春の大会は東山高にまさかの一回戦敗退、夏は報徳学園に3回戦で敗退。そして3年生、「絶対的優勝候補」と言われる中、春は準々決勝で横浜商に破れ、夏も同じく優勝候補の筆頭にあげられながら、同じく準々決勝で池田高に、石井丈裕クン(後の西武、日本ハム)共々、荒木大輔クンが猛打の「やまびこ打線」池田高に、映像のように打ち込まれ敗退。
バックスクリーン左への特大ホームランと満塁ホームランを放った「阿波の金太郎」、水野クン(後の読売ジャイアンツ)は当時未だ2年生。
結局、池田高は優勝候補の早実に圧勝しこの大会で優勝、翌年の春も水野クンをエースに優勝、史上初の3季連続優勝確実!と言われた翌年の夏の大会で、今度は池田高、水野クンは1年生のKKコンビ、桑田クン(後の読売ジャイアンツ)、清原クン(後の西武ライオンズ、読売ジャイアンツ)のPL学園、今度は桑田クンにホームランを打たれ、更に1年生の桑田クンから自慢の打線が1点も奪えず7対0の完封負けを屈する、大番狂わせ。
優勝候補の池田を破った1年生の桑田クン、清原クンのPL学園は全国制覇。そして今度はこれを機に、PL学園の桑田クンと清原クンが甲子園5季連続出場、4度決勝進出!2度優勝、2度準優勝(残り1度はベスト4)したこの時期の高校野球にも、強烈に人々の記憶に残る歴史のドラマがありました。
水泳ニッポン 黄金時代 [水泳 五輪]
大昔の!話しですが、1932年アメリカ、ロスアンジェルス五輪。
何と日本水泳陣、男子6種目中5種目で金メダル!という大快挙!。
続く1936年のあの!ヒトラーナチスドイツ政権下での ベルリン五輪でも
男子200m平泳ぎで金、1500m自由形で金、800mリレーでも金、、、
正に!「水泳ニッポン黄金時代」。女子でも史上初めて、あの有名な、
「前畑がんばれ」の実況の、200m平泳ぎで前畑秀子さんが金メダルを獲得。
この4年後、幻に終わったアジア初の!日本開催、東京五輪中止。
第二次世界大戦終結から3年、1948年に再開された英国、ロンドンでの五輪に
招待されなかった日本、されど東京は神宮プールで行われた水泳大会で、
古橋廣之進氏が、五輪記録を破る世界新記録を出したから、世界はさあ大変(笑)。
翌年アメリカの大会に招待された古橋廣之進氏は、ここでも世界記録を更新。
戦後日本人を勇気ずけたんですね。素晴らしいです!。
長谷川穂積VS世界1位マリンガ 脅威の1Rノックアウト勝ち! [ボクシング]
3試合連続ノックアウト勝ち、長谷川穂積氏の衝撃の1RKO。
2005年4月16日、判定でウィラポンを下し、黄金のバンタム!WBC世界バンタム級王者になってから、約5年間、10連続防衛の金字塔をうちたてた長谷川穂積氏の8度目の防衛戦。1位の指名挑戦者ブシ・マリンガを、なんと1Rで倒し防衛を果たした、こちら鮮烈な試合!。
この頃の長谷川穂積氏、本当に!むちゃくちゃ!強かったですね。9度目の防衛戦、アメリカのネストール・ロチャも同じく1Rノックアウト勝ち!。2戦連続初回KO防衛はバンタム級世界戦史上初!の快挙。6度目から10度目の防衛迄、1Rノックアウト2回。2Rノックアウト2回、4Rノックアウトが2回という、正に!無敵の強さを誇っていた長谷川穂積氏。
その後、11度目の防衛に残念ながら失敗、王座を陥落するも、2010年11月26日、フェザー級転向と日本人初、飛び級での2階級制覇も達成!。フェザー級初防衛失敗後、2011年現在、進退保留中ですが、、、
長谷川穂積 33戦29勝(12KO)4敗
世界フェザー級 WBC2位、WBA5位
世界の強豪ひしめく黄金のバンタムでの10連続防衛は、快挙、偉業だと思っております。
ちなみに、日本チャンピオンでも、ボクシングだけで食ってくのは難しいと言われる世界ですが、世界王者になる前からアルバイトをしていた神戸市内の時計店に、高額なファイトマネーが入るようになった、世界王者になってからも辞められずアルバイトを続けていたという逸話は、漢!長谷川穂積氏の人間性を感じる、管理人は好きな逸話でございます。
斎藤佑樹 vs 田中将大- 2006 甲子園決勝 [高校野球]
前日の延長15回引き分け再試合の最終回!。
73年ぶりの!夏3連覇の駒大苫小牧か?、意外にも準優勝2回、初優勝の名門、早稲田実業か?。4対3、早稲田実業リードで迎えた9回表、駒大苫小牧、最後のバッターがエース、田中将大クンという巡り合わせの、息をのむ!平成の名勝負!。
4連投9回で2アウト、あとアウト1つで初優勝。2ストライクと追い込んでからの147kmのストレートを投げこんだ斎藤クン。見送りねばる田中クン。素晴らしいですね。今みても絵になります。
最後は解説席の予想を覆す、得意のスライダーではなく、「漢は」ストレート!勝負!。144kmの直球で三振に仕留めた斎藤クン、可愛い顔して優しい顔して、勝負所は「漢」!。甲子園、日本中のTVの前の視聴者に「漢」を上げたピッチングでございました。素晴らしい!。
三振とはいえ、フルスイングの田中クンも「漢」でございます。
斎藤佑樹 vs 田中将大 甲子園2006決勝 駒大苫小牧-早稲田実業 [高校野球]
栄冠は君に輝く ~全国高等学校野球選手権大会の歌~ [高校野球]
福島が生んだ偉大なる作曲家 古関裕而氏の名曲。暑くなると夏になると、やはりこの曲を聴きたくなる。高校野球がみたくなるので、アップいたしました。
阪神タイガースのかの!有名な応援歌「六甲颪」、読売ジャイアンツの応援歌「闘魂こめて」、 早稲田大学応援歌~「紺碧の空 」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』、全部、古関裕而氏の作品でございます。
有名な軍歌、戦時歌謡にも古関裕而氏の作品は多数。
古関裕而作品と知らずとも、老若男女、日本国民の誰もが馴染みのある、口ずさめる曲を、これだけ書いている作曲家は、おそらく古関裕而氏しかいないのではないか?と思う次第。
Moondog R&R Records Shop
女子W杯 なでしこジャパンと振り返る決勝戦 [サッカー]
私ごとき、この歴史的偉業に!何も申す事はございません。
おめでとうございます!、なでしこジャパン!。
皆様は日本、日本人の誇り、誉れです!。