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2912年 ロンドンオリンピック 名場面集 YouTube [ロンドン五輪]





2012年7月27日〜8月12日。イギリス、ロンドン

◎優勝(金メダル)
ボクシング男子ミドル75kg級 村田 諒太
体操・体操競技 男子個人総合 内村 航平

レスリング
女子フリースタイル48kg級 小原 日登美
女子フリースタイル63kg級 伊調 馨
女子フリースタイル55kg級 吉田 沙保里
男子フリースタイル66kg級 米満 達弘

柔道 女子57kg級 松本 薫


◎2位(銀メダル)
水泳・競泳
女子200m平泳ぎ 鈴木 聡美
男子200m背泳ぎ 入江 陵介
男子4×100mメドレーリレー 入江 陵介、北島 康介、松田 丈志、藤井 拓郎

サッカー
女子 鮫島 彩 、岩清水 梓 、熊谷 紗希 、近賀 ゆかり 、宮間 あや 、阪口 夢穂 、川澄 奈穂美 、大野 忍 、田中 明日菜 、福元 美穂 、安藤 梢 、高瀬 愛実 、矢野 喬子 、澤 穂希 、海堀 あゆみ 、大儀見 優季 、丸山 桂里奈 、岩渕 真奈

体操・体操競技 男子団体
加藤 凌平、田中 和仁、田中 佑典、内村 航平、山室 光史

男子種目別ゆか 内村 航平

ウエイトリフティング 女子48kg級 三宅 宏実

卓球 女子団体 石川 佳純、福原 愛、平野 早矢香

フェンシング 男子フルーレ団体 太田 雄貴、千田 健太、三宅 諒、淡路 卓

柔道 男子60kg級 平岡 拓晃
男子73kg級 中矢 力
女子78kg超級 杉本 美香

バドミントン 女子ダブルス 藤井 瑞希、垣岩 令佳
アーチェリー 男子個人総合 古川 高晴

◎3位(銅メダル)
陸上競技 男子ハンマー投 室伏 広治

水泳・競泳
男子400m個人メドレー 萩野 公介
女子100m背泳ぎ 寺川 綾
男子100m背泳ぎ 入江 陵介
女子100m平泳ぎ 鈴木 聡美
男子200mバタフライ 松田 丈志
男子200m平泳ぎ 立石 諒
女子200mバタフライ 星 奈津美
女子4×100mメドレーリレー 寺川 綾、鈴木 聡美、加藤 ゆか、上田 春佳

ボクシング 男子バンタム56kg級 清水 聡

バレーボール 女子 中道 瞳、竹下 佳江、井上 香織、大友 愛、佐野 優子、山口 舞、,荒木 絵里香、木村 沙織、新鍋 理沙、江畑 幸子、狩野 舞子、迫田 さおり

レスリング 
男子グレコローマン60kg級 松本 隆太郎
男子フリースタイル55kg級 湯元 進一

柔道
男子66kg級 海老沼 匡
男子90kg級 西山 将士
女子63kg級 上野 順恵

アーチェリー 女子団体 早川 漣、蟹江 美貴、川中 香緖里







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江川卓 甲子園 選抜で最も速かった男 [高校野球]





ノーヒットノーラン9回・完全試合2回、選抜高等学校野球大会における大会通算最多奪三振記録(60個)。

1年夏の県予選から県内初の完全試合を達成し、マスメディアに登場するも、不運が重なり甲子園出場を果たす事のできなかった江川卓の1972年、江川卓最後の春の選抜出場のチャンス。秋季関東地区大会栃木県予選。

江川卓は4試合登板。29回無失点45奪三振、2試合完封で優勝。

関東大会に進んだ江川卓は、千葉県の名門、銚子商との準決勝を1安打完封20奪三振。同じく神奈川県の横浜高戦も16奪三振完封で優勝。県大会、関東大会7試合、無失点。新チーム結成以来、練習試合を含む23戦全勝。江川卓の防御率0,00。関東No.1高校&投手として江川卓は甲子園初出場を果たします。

そしてここで、多くのマスメディアと全国の野球ファンは、噂の「怪物」江川卓のピッチングを初めて!目の当たりにするわけであります。



一回戦、大会No1のチーム打率を誇る強打の北陽打線の1回、三者連続三振。2回4番の先頭打者三振。ここまで全員バットにボールがかする事なく三振。

5番有田(後に近鉄入団)が初めてバットにボールを当てファールを放つと場内がどよめき、ファールを放った有田に場内は拍手を送るという「伝説」を江川卓は作り、4回2死まで江川卓はアウト11は全て連続三振。場内は異様な空気に包まれます。

結果、優勝候補筆頭の強打の北陽相手に4安打19奪三振完封勝利という鮮烈な甲子園デビューを飾り、「怪物」江川卓の名は全国に広まります。

二回戦、小倉南戦。7回無失点(大差により途中降板)1安打10奪三振。

準々決勝、今治西戦。1安打20奪三振で完封勝利。

結局、準決勝の広島商戦、毎回の11奪三振なれど四球で出塁していたランナー(後の広島の達川光男)がポテンヒット(チーム初安打)でホームイン。江川の連続無失点記録は139イニングでストップ、8回裏、チーム2本目のヒットになる内野安打と四球で出たランナーのツーアウトからのダブルスチール(捕手、三塁暴投)で得点され、僅か2安打で2得点され、江川卓は初の甲子園を去るも、江川は今も破られない奪三振60の記録と「伝説」を残したわけであります。

夏の甲子園大会も、銚子商業に延長の末、押し出し四球で破れたのは有名ですが、凄いのが栃木県予選。全5試合のうち3試合をノーヒットノーラン。打たれたヒットは2試合で1安打ずつの僅か2本。再び140イニング連続無失点で「怪物」江川は甲子園は再び乗り込んできた事でした。






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西岡VSムンローV5防衛戦怒涛の連打 [ボクシング]





世界王座獲得の初防衛戦からの4連続KO防衛は、日本人初の快挙。5連続を期待された試合でしたが、チャンプ!西岡利晃氏のラッシュも凄いですが、ランキング1位の英国のチャンレンジャー、ムンローの粘り根性も凄いですね〜!。

圧倒的強さで、若き頃から世界王者確実と言われ、ボクシング界、ファンから有望視されていた西岡利晃氏ですが、世界の壁は厚く、WBC世界バンタム級王座挑戦に4度失敗。5度目にしてチャンプになり、2011年10月現在、7度の防衛を堂々!重ねております。

そして2011年10月1日、アメリカネバダ州ラスベガスMGMグランドホテル&カジノにてメインイベントでの防衛戦!、世界2位にランクされるラファエル・マルケス(メキシコ)40勝(36KO)6敗を相手に、日本人ボクサーとして初となる、アメリカでの防衛に成功した歴史的!快挙!。西岡利晃チャンプ!おめでとうございます!素晴らしい。

◎西岡利晃氏
2011年10月現在 46試合39勝(24KO)4敗3分






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拳闘 ルーベン・オリバレスVS金沢和良 漢!金沢和良あっぱれ [ボクシング]





メキシコの英雄、ルーベン・オリバレスはWBA・WBC世界バンタム級、WBA世界フェザー級、WBC世界フェザー級の2階級制覇した王者。その高いKO率から徒名は「ミスター・ノックアウト」。

52戦51勝49KO1分の戦績を引っ提げ、1969年8月、ライオネル・ローズが持つWBA・WBC世界バンタム級王座に挑戦。5回KO勝利で王座を奪取。1971年10月25日、愛知県体育館でのこちら金沢和良氏との防衛戦は、ここまで68戦66勝61KOと圧倒的なKO率を誇っていたオリバレスに、以前対戦してる時は2Rノックアウト負け、金沢和良氏に全く勝ち目はないと下馬評では言われておりましたが、14Rまでもつれる大乱戦、結果はオリバレスがノックアウトで勝ちましたが「日本ボクシング史上に残る世紀の死闘」と伝わっている、金沢和良氏の大健闘を観る事ができます(この年の年間最高試合に選ばれました)。

しかし、凄まじい試合でございます。

今だったらレフリーストップになっているのではないか?とも思いますが、しかし、ふらふらの金沢和良氏が反撃してる以上、パンチを繰り出してる以上、しかもオリバレスにパンチが当たってる以上、レフリーも止められなかったのか?とも素人考えで思えたりもする、もの凄い試合でございます。金沢和良氏、14R、2度目のダウンで立ち上がって大きく口をあけ、何を叫んでいたのでしょうか?。意識はあったのでしょうか?。




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江夏豊VS王貞治/江夏豊 奪三振世界記録(昭和43年) [プロ野球]



今も破られていない、またローテーションが確立されてる現代野球、この先も破られる事もないであろう、若き江夏豊氏(高卒2年目)の年間「401奪三振」の世界記録(メジャーリーグの記録は、ノーラン・ライアンの383個)。

されど!1968年9月17日、甲子園球場における対巨人戦で、西鉄ライオンズの「鉄腕稲尾」稲尾和久氏の日本記録を塗りかえるシーズン354奪三振を記録すべき試合。王貞治氏から日本記録を取ると試合前から公言していた江夏豊氏。日本記録タイとなる353奪三振を王貞治氏から奪い、江夏豊氏は日本記録を更新したものと勘違いし(映像をみると、確かにそういう顔、仕草ですね)、ベンチに戻ってから捕手の辻恭彦氏にタイ記録であり新記録ではないと指摘され、初めて気ずき、そして!では1巡回して次の王貞治氏まで「三振を奪わず」打たせてとって、また王貞治氏で新記録の奪三振をとろうと決める若き江夏氏。

試合は当時の巨人のエース格、高橋一三氏との投げ合いで0対0。

打たせてとるつもりが、ヒット、長打、ましてやホームランにでもなったら、それで試合が決まってしまう緊迫した試合展開で、こう考えそして実行した若き江夏豊氏の「天才」に、今更ながら感銘いたします。

野球はチームプレーと言えど、観てる側はピッチャーとバッターの1対1の対決というのは、胸が熱くなるものでございます。正に!1対1の名勝負でございます。とくと御覧下さいませ。

ちなみに王貞治氏から最も!多く三振を奪った投手は江夏豊氏(57個)で、江夏豊氏から最も多く本塁打を打った打者(20本)もまた王貞治氏。男と男の1対1の勝負を感じまする、、、。


左腕の誇り―江夏豊自伝 (新潮文庫)


江夏豊の超野球学―エースになるための条件


牙―江夏豊とその時代 (講談社文庫)


もうひとつの「江夏の21球」―1979年日本シリーズ、近鉄vs広島


21世紀への伝説史『王貞治』DVD2枚組&愛蔵本


伝統の一戦 阪神VS巨人70年史 [DVD]


【プロ野球オーナーズリーグ】江夏豊 阪神タイガース レジェンド 《2010 OWNERS DRAFT 03》ol03-l-003


野球にときめいて―王貞治、半生を語る


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中嶋悟 Satoru Nakajima tribute [モータースポーツ]






F1 LEGENDS 「中嶋 悟 SATORU NAKAJIMA」 [DVD]
中嶋悟氏。日本最高峰のレーサーとしてその名を馳せていた中嶋悟氏は、34才にして日本人初のF1フルタイムドライバー(アジア人としてタイのプリンス・ビラに次ぐ)として、1987年の開幕戦(ブラジルGP)でロータス・ホンダよりデビュー。時代はバブルの真っただ中!当時の日本のF1ブームは、アイルトン・セナと中嶋悟氏の人気に負う所がとても大きかったと記憶しております。

当時、日本人レーサーが天下の!F1に、フルタイムドライバーとして参戦するなど、一般ピープル達には考えられなかった、夢のような!話しであり(野球の野茂英雄氏のメジャーリーグ挑戦と同じです)、中嶋悟氏の活躍により(日本人もやるじゃないか)と、考え方が変わった、今の初老中高年、実は!多いと思いまする。

中嶋悟氏、F1での生涯成績。

出走回数80回(決勝出走回数74回)、予選最高位6位(2回/1988年メキシコGP・1988年日本GP)、決勝最高位4位(2回/1987年イギリスGP・1989年オーストラリアGP)、ファステストラップ1回(1989年オーストラリアGP)、総獲得ポイント16点。

ちなみに、中嶋悟氏が先鞭をつけたことにより、多くの日本人レーサーがF1に参戦しておりますが、2010年現在、参戦した年すべてにおいてポイントを獲得しているのは中嶋悟氏と小林可夢偉氏の2人だけでございます。この記録を破る若き日本人ドライバーの登場を、心より!期待しております。

中嶋悟氏、「夢」をありがとうございました。感謝!




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コマネチ! NADIA COMANECI PERFECT 10 [体操 五輪]



1976年に行われたモントリオールオリンピック、女子体操競技、段違い平行棒と平均台の演技で近代オリンピック史上初めての10点満点を出し、個人総合と併せて金メダル3個、団体で銀メダル、ゆかで銅メダルを獲得した、当時14才だったルーマニアのナディア・コマネチ。

当時、オリンピックを運営するIOCや審判団は、体操競技で実際に満点が出ることを想定していなかったため、当時の採点掲示板は9.99までしか表示できず、掲示板には1.00点と表示されましたが、見る方もまた、体操競技で10点満点、パーフェクトがでるなどとは夢にも思ってなかったので、本当に度肝をぬかされた、脅威の!演技を披露した「白い妖精」ナディア・コマネチ。


コマネチ 若きアスリートへの手紙


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笠谷幸生 ・ 日の丸飛行隊 札幌オリンピック (1972年) [他冬季五輪]





1968年、グルノーブルオリンピックで、4年後の札幌オリンピックの開催が決まっていた日本チームは、過去最高の62選手を送り込むも、メダルはおろか6位入賞すら果たせなかったわけですが、4年後の札幌オリンピックでは、信じられない!快挙が待っていたんですね。

宮の森ジャンプ競技場で行なわれた、札幌オリンピック(1972年)の70m級(現在のノーマルヒル)ジャンプで、日本のジャンプ陣(笠谷幸生氏、金野昭次氏、青地清二氏)が、金、銀、銅のメダルを独占。彼等は「日の丸飛行隊」と呼ばれたわけで、子供心に興奮、非常に感動的でした。

「さぁ笠谷、金メダルへのジャンプ!、飛んだ決まった!見事なジャンプ!」という名ゼリフは、NHKの北出清五郎アナウンサー。


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第87回箱根駅伝 國學院大学ゴール寸前コース間違え [駅伝]





毎年、伝統ある母校の「襷」の重みをかけ、もの凄い!筋書きのないドラマを若者達がみせてくれる、感動的な大学駅伝。

優勝争いも素晴らしいですが、10位までに入らないとシード権がもらえない。来年の為の、シード権争いのデットヒートがまた良いですね。第87回箱根駅伝、出場5回目で初シード確実!シード権争い組のトップを走っていた國學院大、寺田クン。8位でゴールすると誰もが思っていたら、何とコース間違え。

こう見てもやはり放送車、よくないのではないかと思いますね。選手は必死に!走ってるんですから、放送車が曲がれば、ついていってしまうのもわからないでもない。

しかし!寺田クン、最後の直線、よーく!!追い上げシード権獲得いたしました。この全力疾走は凄い、素晴らしい。ご立派。




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92年バルセロナ五輪マラソン、森下広一 銀メダル [マラソン]





1968年のメキシコ五輪以来の!森下広一氏の銀メダル!、、、。

森下広一氏は、オリンピック本番までのマラソン経験は2回!。これは戦後の日本の男子マラソン代表では最も少ない数字なれど、その2回とも、当時、日本最強と言われた、ソウル五輪4位の中山竹通氏に勝っての堂々たるソレ!(初マラソンは1991年の別府大分毎日マラソン、翌年の東京国際マラソン)。

結局、故障に泣かされ現役引退した森下広一氏の公式マラソン全成績は、その中山竹通氏に勝った、別府大分毎日マラソン優勝、東京国際マラソン優勝、そしてこのバルセロナ五輪2位、銀メダルの3戦のみ。故障さえなければ、日本陸上競技史上、最強の男だったかもしれないですね。

で、中山竹通氏。バルセロナ五輪、競技場に3位で現れるも最後にトラックで抜かれ(まるで東京五輪、2位で競技場にあらわれぬかれ3位になった円谷氏のよう)4位となり、88年のソウル五輪の4位に続き連続4位、又しても惜しくもメダルには手が届きませんでしたが、給水で転倒してしまい靴が脱げ履き直して8位まで追い上げ入賞を果たした、こちらもメダル候補だった谷口浩美氏含め、この時のオリンピックの日本の男子マラソンの世界基準の水準は、極めて高かったですね。

お三方とも、メダル候補と言われておりました。

ちなみに戦後男子マラソン代表では、君原健二氏(68年メキシコ五輪2位、72年ミュンヘン五輪5位)とソウル五輪、ミュンヘン五輪連続4位の中山竹通氏以外、2大会連続入賞者はおりません(2011年現在)。中山竹通氏も、もの凄い方なのでございます。




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